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目次
せん妄とは
本題のせん妄の体験談の前に少し知識面をお伝えします。
せん妄とは、意識障害が起こり、頭が混乱した状態になっている状態です。
せん妄は病名だと思われがちですが、異常な精神状態を表す言葉です。
認知症も病名だと思われていますが、これは症状を表す言葉です。
せん妄のタイプと種類
せん妄は、大きく分けて3つのタイプあります。
【過活動性せん妄】興奮し大声を出したり暴れたりといったタイプ
【低活動性せん妄】混乱はしているが落ち着いているタイプ
【混合型せん妄】過活動性せん妄と低活動性せん妄が合わさっているタイプ
種類について、代表的なのものを挙げています。
【夜間せん妄】
昼間に症状は無いが、夕方から夜にかけてせん妄が出現する。そのため、昼夜逆転を起こすリスクが高く、介助者の負担も大きくなる。
【術後せん妄】
手術後しばらくしてから発生するせん妄。体調の悪化や入院する事による環境の変化、手術へのストレスが原因の場合に起こるせん妄です。
【薬剤性せん妄】
処方薬などにより引き起こされるせん妄。薬の飲み合わせだけでなく、今まで服用していた薬を止める事でも出現する可能性があります。
【アルコール離脱せん妄】
アルコール依存症の人に多く見られるせん妄。多量にアルコールを摂取する事により、中枢神経が弱まることが原因となります。
直接因子と保進因子
続いては、「因子」です。因子には直接因子と保進因子があります。
直接因子では、「疾患」と「薬物」の2つがあります。
疾患では神経障害や代謝障害、呼吸・循環器障害が原因となります。
薬物では、パーキンソン薬や抗精神薬、鎮静薬などの副作用が原因となります。
促進因子とは心理ストレスや環境の変化などです。
以上の事から、せん妄と一括りになっていますが、原因が人によって大きく異なる為、対応もかなり難しくなります。
ここからが、本題の家族の介護でせん妄が回復したお話です。
【病院でリハビリ中】
義父は、病院の回復期病棟で毎日リハビリを受けています。
後、2週間ほどで入院のタイムリミットがやってきます。
退院後は、在宅介護に切り替える予定です。
現在在宅介護がスムーズに行えるように調整中です。
半年ぶりの在宅介護になります。
入院になったきっかけは、6月に緊急手術をしたからです。
命拾いをしたものの、ベッドの上で過ごすことにより、体力がすっかり落ちてしまいました。
体の動きが悪くなり、自分で動けなくなりました。
そして、病院が怖いという潜在的な思いからせん妄が始まりました。
自力で立てないのでリハビリを受けるため、手術後の療養が必要なことから、救急病院から一般病院へ転院することになりました。
【せん妄による対応】
転院が原因でせん妄が悪化しました。
高齢者の患者が多いものの、せん妄の患者になれていなかったため、せん妄の対応が悪くて困りました。
初日のあいさつでは笑顔で優しかったのですが、数日後には病院のスタッフ全員が義父を嫌がるようになったのです。
「病院では対応できない」ときっぱり言われました。
追い出されても行先はありません。
この時点での在宅介護は不可能でした。
先生の言われるがままサインをし、せん妄の薬として強い薬が処方されることになりました。
「立てない」 「力が出ない」 「自分のことがわからない」
せん妄の薬を飲む前は、手すりをもって何とか立てるようにまで回復していました。
しかし、薬を飲むことでぼーっとした状態にさせ、体に力が入りません。
考える能力も落ちてきました。
自分が誰だか、どこにいるのか、息子の顔も、妻のことも忘れてしまいました。
「変な所に連れてこられたから家に帰りたい」「毒を飲まさせる」など、困ったことばかり口走ります。
ご飯も食べられなくなってきました。
病院は認知症の症状で、急激に悪化したためだと説明されました。
病気が原因でせん妄になり、そのまま一気に認知症が進んだと言いました。
もう元には戻らないと誰もが考えました。
その中で、息子である主人は、必ず父は元に戻ると宣言しました。
【父を信じる心】
毎日父の様子を見に行き、病院のスタッフと話し合い、介護について勉強をする日々が始まりました。
父の記憶を取り戻すために、家族の写真や家の写真を見せたり、ベット周りに飾ったりしました。
カレンダーを置いて、今日は何日で時間は何時か、いろいろ話しかけていきました。
父の様子を見て、着替えをさせたり、お茶や大好きなコーヒーを飲ませました。週末には自宅に連れて帰り、家で介護を続けました。
徐々にせん妄が落ち着いてきて、薬の量も減っていました。
義母は、父の様子を見て目を合わせるのも嫌がるようになりました。
その頃には、義理の姉との関係も崩れていきました。
その中でも、主人は治ると信じ、できる限りのことをして介護を続けました。
私は、主人のことを応援するつもりで見守りました。
お見舞いに行ってご飯を食べさせたり、一人暮らしの義母の世話をしたり、洗濯物を持って帰り洗濯をして届けました。
一人ではできない義父の病院から自宅までの移動は二人で協力して行いました。
自宅の車を使ったり、市役所で福祉車両を借りました。
時に、義父は冷たい態度で接し、きつい言葉を言いました。
【少しずつ回復】
せん妄は認知症ではありませんでした。
家族の努力と主人の信じる心が通じて、少しずつ元の義父の心に戻っていきました。
しかし、体はなかなか回復しませんでした。
次の病院探しは1か月かかりました。
毎日のように病院や施設探し、見学、申し込み、電話と続き、心が休まりませんでした。
やっと見つけた介護施設は老健でした。
せん妄にも理解ある施設で、ここなら大丈夫だと確信できました。
【誤嚥性肺炎で入院】
老健に入所して5日後、高熱が出て最初の病院へ救急車で運ばれました。
老健は併設の病院がありますが、手術した病気の悪化の恐れもあり最初の病院へ送られたのです。
診断の結果は、誤嚥性肺炎でした。
ここで約1か月間過ごしました。
もう寝たきりに近い状態になり、今度こそ駄目かもしれないと思いました。
しかし、主人はここでもあきらめず、リハビリ重視の病院への転院を希望しました。
【歩行器で歩けるように】
寝たきりになると思われた義父は、歩行器で少しずつ歩ける程度まで回復しています。
主人の父を信じる心が、義父の心を動かしました。
あんなに嫌がっていたリハビリを、毎日頑張っているのです。
一人でご飯を食べることも座ることもできなかった義父がここまで回復できたのは、良い病院に巡り合えたおかげです。
転院時は転院先の病院に迎えに来てもらい、ベッドで移動しました。
最近、何とか自宅に帰れるめどが付きました。
自分の力で立ち上がれることが、自宅介護の条件だったからです。
体の回復は脳の回復にもつながりました。
今お世話になっている病院に入れなかったら、今頃は寝たきりになっていたかもしれません。
介護は、家族の理解と本人のやる気で変わってきます。
病院のスタッフの対応でここまで変わるとは思ってもみませんでした。
私たち夫婦の在宅介護は、ここで終わりでなく、まだまだ続きます。
上記が、夫婦のせん妄の体験談となります。
せん妄は治る症状
はじめに「せん妄には原因が人によって・・」と説明しましたが、今回のケースでは薬物、疾患、環境、心理とほとんどの要因があったと思います。
とても、難しい事例ですが、原因を追究し、それに対してアプローチをした結果が回復に繋がったのだと思います。
せん妄は、脳の問題です。いかに落ち着いてもらうかも重要な点になります。
その為、怪我のように絶対安静や薬などでなく、脳に刺激を与えることが必要になります。
ただ、これも怪我の対応と違い、これが正解といった確実な答えがありません。
しかし、過去の生活歴や趣味など自分を一番知っている家族の対応が、本人も落ち着けるのではないでしょう。
せん妄の対応で悩んでいる皆さん。
せん妄は治る症状です。
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