認知症の母親が他人になっていく!レビー小体型認知症の受け入れ

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母親の精神的崩壊

母親{71}は快活で元気な女性でした。

若い頃はスナックで働き{なっちゃん}の愛称で皆に仲良くしてもらっていました。

自分が子供の頃、店で寝てしまった母親を良く迎えに行きました。

懐かしくも良い思い出ですが、認知症はその思い出を全て封印してしました。

母は母の妹と、つまり姉妹2人で住んでいました。

私は23歳の頃から家を出て、あまり実家には帰らず、互いに{便りが無いのは元気な知らせ}ぐらいの距離で生活をしていました。

しかし、叔母が癌になり、生活がゆっくりと変化していきます。

母も叔母も離婚をして独り身です。故に余計に仲が良かったのでしょう。

癌の闘病は2015年ぐらいから始まります。

2度の入退院を繰り返し、放射線治療なども行ったのですが、3回目の入院の際、ついに悪化して腹水が溜まり始めました。

妊婦のように、お腹が膨れあがる状態です。

母は実の妹の、その姿を見て精神的不安に落ちて行きます。

バブル期を経験した母は、いたって【お金】はすぐに入ると思ってしまう呑気な性格でした。

大きな衝撃には耐えられない精神になってしまっていたのでしょう。

叔母の容態が、母の精神を揺すぶります。

いわゆる{神頼み}的な思考になっていたのだと思います。

しかし{病気}は神様が治してくれるものではありません。

たくさんのお守りを集めても、お寺参りをした所でも、癌は進行するのです。

自分の懇願と、現実の病気のギャップで、母の精神は朦朧としていきました。

叔母から、「あんたのお母さん、ボケたかもよ」あるショートメールがきました。

物忘れも激しく、夜中に出歩くと言うのです。

直接母親に聞くと「そんな分けないいでしょう!!」と至って普通だったので、気持ちが動転してるのかなぐらいに思っていました。

それよりも、末期の癌の苦しみの中、自分の姉を労わる姉妹の関係の深さを感じました。

ついに叔母の余命宣告をされる日が来ました。

ますます母親は、妹の死の恐怖に怯え、追い詰められていきます。

そんな母の姿を見て、叔母も弱って行きました。

不安を取り除くため、母を精神内科に連れて行きました。

その時の診断内容は{不安から来るものでしょう}との診断。

もし、母はこの段階で【アルツハイマー型認知症】だったら、判断出来たのかもしれません。

軽い睡眠薬を処方してもらい、母は眠れるようになりました。

【レビー小体型認知症】は、精神病と似ています。

アルツハイマーのようにぼんやりが多くなれば、分かりやすいのですが・・・この段階ではなんとかなると、思っていました。

母親が他人になって行く時・認知を病気と受け入れるまでの時間

叔母との別れ

その後、叔母が他界しました。

葬儀の時も、気丈にしていたので、暫くすれば元気になると思っていました。

寂しいでしょうが、死を受け止め、現実に立ち向かってくれると信じていました。

しかし、もっと違う現実が迫って来ました。

母は幻覚を見るようになります。

ある日、実家に帰ると、母が壁に向かって話していました。

小さいお婆さんと、話をしていると言うのです。

ぞっとして叫んで怒りました。

「しっかりしろ、お袋!誰もいねえよ!」「だって・・いるじゃないかあ」

この時に、少しでも認知症の知識があれば、怒ることなどせず、より沿ってあげることが出来たかもしれません。

勝手に、一人になった時間が増えたので不安になってしまったんだろうと思ったのです。

精神内科も通院していましたが、時間が立てば大丈夫ですよと言われてました。

今思うのはセカンドオピニオンは大事だと言うことです。

認知症は大体、精神安定剤と睡眠薬が処方されることが多いのですが、薬の相性の個人差があるのです。

これは、医療ミスとかでは無く運に近いものだと思います。

当たりの薬を引けば、進行は遅らせることが出来ます。

しかし、母のように相性の悪い薬にあたると、どんなに睡眠薬を飲んでも寝れなくなり、余計に認知と精神不安が重なる場合があります。

レビー小体型認知症

崩壊

叔母は2017年の10月に他界して、12月には実家に戻りました。

段々と母親の行動がおかしくなって行ったのです。

最初は、異様なトイレの数でした。

すぐに、トイレに行きたくなるらしいのです。

この頃から、自分も認知症について勉強をし始めていました。

認知の症状として、脳からの伝達が悪くなるので利尿の管理が出来なくなるのです。

並行して徘徊が始まりました。

ある日警察から連絡があり保護をしたと言うのです。

夜中に出歩き、4キロ先で、血だらけで保護されました。

転倒をして打撲をしたそうです。

別の日は、知らない人の家でトイレを借り30分出てこなくなったそうです。

知人が助けてくれたのですが、これは後日、知人が教えてくれました。

知人も気を遣ってくれていたのです。

レビーは並行して{パーキンソン病}の症状が出ます。

手足の筋肉が段々収縮して動きが悪くなるのです。

転倒のことを知った時に、進行したのだと言うことを感じました。

ただ、感情は穏やかでぼんやりしている感じだったのです。

正直、このまま寝た切りになってくれればと思っていました。

今度は感情の起伏が激しくなって行きます。

とにかく、怒りまくるのです。

浴槽の中で、誰かに怒り続けています。

1時間ぐらいして出て来て「修学旅行で、私が財布を盗んだって、みんなに言われたから、怒鳴り返してやった!!」

まだ興奮は収まってないようです。

レビーは、極度の被害妄想を起こします。

とにかく、突然、鳴き叫ぶのです。

幻覚と現実が、理解出来なくなって行きます。

レビーの怖い所は、突然平常心になることです。

その瞬間は、治ったと思う位に普通で、本人が認知について勉強するぐらいなのです。

ここが落とし穴でまだ、なんとなるのでは無いかと、{頑張れ}{可哀想}等の感情が生まれます。

家族だから当然です。

しかし、この段階で施設の下調べは始めた方がいいです。

とにかく入れるホームが、関東には少ないのです。

その年の大晦日、母が叫んで自分の部屋に来て、散々喚き罵倒をしました。

まだ、この時は「うるせえなあ!」とやり返してました。

完全に諦めたのは、妻を泥棒呼ばわりし、罵倒したことでした。

母と妻は非常に仲が良かったのです。

自分の親が、他人に迷惑をかける姿を見て恐怖を感じました。

レビーは言われも無い、恐怖を感じることになるでしょう。

肉親のあまりの変化に自分の精神が追い付いて行かない、未知の感覚になるのです。

この瞬間は必ず来ます。不治の病気ですから。

だから、自身の精神を守るために肉親の認知症を早く受け止め、知識を得て冷静でいられる準備をした方がいいです。

その後、7時間の失踪、排せつ、階段からの転落と、母は段々と悪化していきました。

認知症

治療と伝えたいこと

そして母を施設に入れることにしました。

24時間で見ていないと認知症は、どうしようもありません。

男性の場合は、腕力、女性の場合は料理をするので火の元です。

しかし、一番精神を病むのは暴言です。

人間では無い声を何時間も聞くのは堪えられなくなります。

やはり、家族であろうと素人では無理ですし、それなりの環境が無いと大事故に繋がります。

認知症になった瞬間から、本人は段々消えて行くのです。

だから、良い思い出を汚さないためにも、1分1秒でも早く病気を受け入れ、施設の方と相談した方いいです。

自分は無知のため頑張れば、認知症はなんとか治ると思ってしまいました。

だから、家族同士で傷付け合い、家族同士で恐怖を感じ、親子の思い出を無くしてしまいました。

優しい母親の姿をかき消す位に【レビー小体型認知症の叫び回る母親】はトラウマになって自分の中に残ってしまいました。

今は、静かな母親を見るだけでも恐怖を感じます。

認知症は生きたまま、家族を他人にしてしまいます。

日本が安楽死を認めてくれるならば、即日安楽死をさせてあげたいです。

本人も苦しいのです。

ただ生きるのと、人生を生きるのでは意味が違います。

認知症は人生を無くします。

そして思い出も無くす場合もあります。

それを理解しないで{意思疎通}を計ろうとすると、本当に苦しくなります。

とにかく【冷静に距離を考える】しか認知症には対応出来ません。

多分、優しい母親を思い出せるのは、母親が他界した時だと思います。

誰も、自分と同じ思いをしてもらいたく無いと切に願います。

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